いぬのはなし

お久しぶりです。ご無沙汰しております。空の子です。下書きはちょくちょくしてるんですけど、投稿に至らないまま随分と時間が経ってしまいました。月日の流れが早すぎて脳直ツイートするしかない日々です。授業で扱う文学作品を読んでも手元のメモに残る文章がTwitterのノリだったときはさすがに危機感を覚えました。

小学生の頃から改善されない先延ばしと現実逃避という悪癖によって今日も締め切りに追われていますが、やるべきことを終わらせるためにも頭の中を占領している今やらなくてもいいことを片付けてしまおうという作戦です。無謀ですね。分かっているならさっさと課題をやれよと思うかもしれないけれど、最近まで対面授業ばかり受けていて長文を書いていないので筆馴らしになればという期待半分、ただのさぼり半分。そもそも手を付けるべきと自覚した時点で腹くくって作業に取り掛かれる人間だったらこんなこと書いて自分の首絞めたりしません。

追記:結局この後寝たのでレポート出した後にいったいここで何を書こうとしていたのかを思い出さなければならなくなってしまった。


近代文学概論という授業の期末レポートを書くために「畜犬談」という小説を読みました。この話を初めて読んだのは中学生か高校生の頃だったと思います。もともと私は読書が好きな子供でしたが近代以前の文学には全く興味を持っておらず、もっぱら現代小説、それも同じ作家や作品を繰り返し読んでいました。そんな子供が自分から太宰に手を出すわけがなく、おそらく姉に借りた『奇想と微笑』という森見登美彦氏による太宰治傑作選でも読んだのでしょう。

犬嫌いの主人公「私」が甲府に移り住んだら近所に犬がいっぱいいて、ある日一匹の子犬が家までついてきてしまったから仕方なく飼うというお話です。太宰は暗い話のイメージが強いけど、こういう滑稽小説も書いています。私は国文学科に所属して居ながら近代文学はおろか、人間失格などの超有名な作品でさえほぼ読んでいない不勉強な人間なので太宰と言ったら「畜犬談」と「かちかち山」を連想します。この小説の大半の主張は犬が怖いという事なのに、大げさでかしこまった文章なのが面白いんだと思います。「私」が真剣なぶん余計に「滑稽」になってしまう。モリミーの文章はこういうところが似ているんじゃないでしょうか。『夜行』とかのちょっと怖い小説の時は気にならないし、多分そんなに堅苦しい言い回しを使っていないのでしょうが、たぬきシリーズや腐れ大学生たちの話では普段聞かないような言葉遣いをしていることが多いと思います。『四畳半神話大系』のアニメではモリミーの文章の大半には内容が大してないくせにどこか一部を切り取ってしまうと途端に面白くなくなるので声優さんに全部早口で読ませるという荒業をとることになったそうです。一見中身がないけれどその大げさで真剣な文章自体に意味があるという点で共通してますね。


レポートでは、主人公は犬嫌いだけどなんだかんだポチの事好きじゃんという内容を文章中の主人公の行動などを根拠にして4000字近く書きました。2000字ちょっと下限ギリギリで提出するつもりだったので3000字に到達するあたりで終わらないんじゃないかと思ってめっちゃ焦りましたね。さんざんレポートに書き連ねたのでここではそんなに詳しく触れないですが、「私」は絶対ポチの事好きだと思います。ポチとは先述した子犬です。犬が嫌いなら名前なんて付けないで犬とかおいとか呼べばいいのに、ありきたりではあるけれどちゃんとほかの犬と識別しようとしている時点でもうほだされかかっているでしょ。子犬かわいいもんね。

さらに追記:ここまで書いてまた放置していたのでここからは犬かわいいというくそどうでもいい内容になります。話している途中で脱線しすぎて何を言いたかったのか分からなくなることはよくあるけど、ブログでも内容がとっ散らかっていますね。まあでもレポートの構成を考えるのに頭を整理したくて書き始めたので、内容が決まって書くことなくなっちゃったのは本来の目的を達成しているのかもしれない。

私はもともと猫派だったんですけど、ここ数年は犬にも結構惹かれるようになりました。犬は嫌いだったわけではなくて、むしろ見た目とかは好きだったんですが対面すると小型犬でも怖いなと思ってしまうので、興味はありつつも積極的に愛でることができなかったんです。でも最近は以前よりも犬と遊んでみたいなと思うようになりました。単純に私が大きくなったから以前よりも怖いと思わなくなったというのもあると思うし、大人になることで犬の無邪気さみたいなものが愛おしく感じるようになったんじゃないかな。

犬に興味を持ち始めて気付いたんですが、私が現実で犬と交流するのはなかなか難しい気がします。実家での飼育経験があるわけでもないし、自分で飼うのも金銭面や生活スタイル、経験のなさから難しいと思います。野良犬は日本では全然いないし(いても衛生面とか気性とか怖くて無理そう)自分で飼っていないのならよそ様の犬と交流することになるけど、そもそも己の好奇心ともふもふ欲を満たすためだけに他人の大切な家族をこねくり回そうとすること自体が間違っているのではないかとか考えちゃって、お散歩中の犬に微笑みかけることくらいしかできないのが現状です。赤ちゃんもかわいいけど触るために話しかけたりするの良くないみたいに犬でも一方通行な気持ちではだめだよなって思います。飼い主の方に挨拶したり撫でさせてもらえませんかってちゃんと聞くなりすればいいんだろうけど、嫌じゃないかなと怖気づいてしまって未だ頼めたことがないです。犬の方から撫でてくれと飛びかかってくるくらい動物に好かれるオーラをまとった人間になりたい。

犬自体も好きだけど飼い主と飼い犬という関係にも憧れます。しつけや日々のお世話によって生まれる絆だから責任も重いし大変だと思うけど、そのぶんかけがえのない存在になるんだと思います。でも寿命が人間とは違うからそこはすごくつらそう。やっぱりいつか飼うならたくさん一緒に過ごす時間を作ってなるべく幸せに生きて欲しい…。でもそのまえに自分以外の命を預かれるくらい自立した人間にならなくては。



これも数年前から放置されていた下書き。相変わらず犬と交流はできないままです。来世はもっふもふの大型犬と野原を駆け回りもみくちゃになれる生命力にあふれた人間になりたい。