いぬのはなし

お久しぶりです。ご無沙汰しております。空の子です。下書きはちょくちょくしてるんですけど、投稿に至らないまま随分と時間が経ってしまいました。月日の流れが早すぎて脳直ツイートするしかない日々です。授業で扱う文学作品を読んでも手元のメモに残る文章がTwitterのノリだったときはさすがに危機感を覚えました。

小学生の頃から改善されない先延ばしと現実逃避という悪癖によって今日も締め切りに追われていますが、やるべきことを終わらせるためにも頭の中を占領している今やらなくてもいいことを片付けてしまおうという作戦です。無謀ですね。分かっているならさっさと課題をやれよと思うかもしれないけれど、最近まで対面授業ばかり受けていて長文を書いていないので筆馴らしになればという期待半分、ただのさぼり半分。そもそも手を付けるべきと自覚した時点で腹くくって作業に取り掛かれる人間だったらこんなこと書いて自分の首絞めたりしません。

追記:結局この後寝たのでレポート出した後にいったいここで何を書こうとしていたのかを思い出さなければならなくなってしまった。


近代文学概論という授業の期末レポートを書くために「畜犬談」という小説を読みました。この話を初めて読んだのは中学生か高校生の頃だったと思います。もともと私は読書が好きな子供でしたが近代以前の文学には全く興味を持っておらず、もっぱら現代小説、それも同じ作家や作品を繰り返し読んでいました。そんな子供が自分から太宰に手を出すわけがなく、おそらく姉に借りた『奇想と微笑』という森見登美彦氏による太宰治傑作選でも読んだのでしょう。

犬嫌いの主人公「私」が甲府に移り住んだら近所に犬がいっぱいいて、ある日一匹の子犬が家までついてきてしまったから仕方なく飼うというお話です。太宰は暗い話のイメージが強いけど、こういう滑稽小説も書いています。私は国文学科に所属して居ながら近代文学はおろか、人間失格などの超有名な作品でさえほぼ読んでいない不勉強な人間なので太宰と言ったら「畜犬談」と「かちかち山」を連想します。この小説の大半の主張は犬が怖いという事なのに、大げさでかしこまった文章なのが面白いんだと思います。「私」が真剣なぶん余計に「滑稽」になってしまう。モリミーの文章はこういうところが似ているんじゃないでしょうか。『夜行』とかのちょっと怖い小説の時は気にならないし、多分そんなに堅苦しい言い回しを使っていないのでしょうが、たぬきシリーズや腐れ大学生たちの話では普段聞かないような言葉遣いをしていることが多いと思います。『四畳半神話大系』のアニメではモリミーの文章の大半には内容が大してないくせにどこか一部を切り取ってしまうと途端に面白くなくなるので声優さんに全部早口で読ませるという荒業をとることになったそうです。一見中身がないけれどその大げさで真剣な文章自体に意味があるという点で共通してますね。


レポートでは、主人公は犬嫌いだけどなんだかんだポチの事好きじゃんという内容を文章中の主人公の行動などを根拠にして4000字近く書きました。2000字ちょっと下限ギリギリで提出するつもりだったので3000字に到達するあたりで終わらないんじゃないかと思ってめっちゃ焦りましたね。さんざんレポートに書き連ねたのでここではそんなに詳しく触れないですが、「私」は絶対ポチの事好きだと思います。ポチとは先述した子犬です。犬が嫌いなら名前なんて付けないで犬とかおいとか呼べばいいのに、ありきたりではあるけれどちゃんとほかの犬と識別しようとしている時点でもうほだされかかっているでしょ。子犬かわいいもんね。

さらに追記:ここまで書いてまた放置していたのでここからは犬かわいいというくそどうでもいい内容になります。話している途中で脱線しすぎて何を言いたかったのか分からなくなることはよくあるけど、ブログでも内容がとっ散らかっていますね。まあでもレポートの構成を考えるのに頭を整理したくて書き始めたので、内容が決まって書くことなくなっちゃったのは本来の目的を達成しているのかもしれない。

私はもともと猫派だったんですけど、ここ数年は犬にも結構惹かれるようになりました。犬は嫌いだったわけではなくて、むしろ見た目とかは好きだったんですが対面すると小型犬でも怖いなと思ってしまうので、興味はありつつも積極的に愛でることができなかったんです。でも最近は以前よりも犬と遊んでみたいなと思うようになりました。単純に私が大きくなったから以前よりも怖いと思わなくなったというのもあると思うし、大人になることで犬の無邪気さみたいなものが愛おしく感じるようになったんじゃないかな。

犬に興味を持ち始めて気付いたんですが、私が現実で犬と交流するのはなかなか難しい気がします。実家での飼育経験があるわけでもないし、自分で飼うのも金銭面や生活スタイル、経験のなさから難しいと思います。野良犬は日本では全然いないし(いても衛生面とか気性とか怖くて無理そう)自分で飼っていないのならよそ様の犬と交流することになるけど、そもそも己の好奇心ともふもふ欲を満たすためだけに他人の大切な家族をこねくり回そうとすること自体が間違っているのではないかとか考えちゃって、お散歩中の犬に微笑みかけることくらいしかできないのが現状です。赤ちゃんもかわいいけど触るために話しかけたりするの良くないみたいに犬でも一方通行な気持ちではだめだよなって思います。飼い主の方に挨拶したり撫でさせてもらえませんかってちゃんと聞くなりすればいいんだろうけど、嫌じゃないかなと怖気づいてしまって未だ頼めたことがないです。犬の方から撫でてくれと飛びかかってくるくらい動物に好かれるオーラをまとった人間になりたい。

犬自体も好きだけど飼い主と飼い犬という関係にも憧れます。しつけや日々のお世話によって生まれる絆だから責任も重いし大変だと思うけど、そのぶんかけがえのない存在になるんだと思います。でも寿命が人間とは違うからそこはすごくつらそう。やっぱりいつか飼うならたくさん一緒に過ごす時間を作ってなるべく幸せに生きて欲しい…。でもそのまえに自分以外の命を預かれるくらい自立した人間にならなくては。



これも数年前から放置されていた下書き。相変わらず犬と交流はできないままです。来世はもっふもふの大型犬と野原を駆け回りもみくちゃになれる生命力にあふれた人間になりたい。

好きなもの②

どうも空の子です。ねむいです。今回は好きなものについて書きました。導入が雑ですがそういうときもあります。気にせず読み進めてください。

星空

名前のテーマが空だからか、昼夜を問わず空を眺めるのは好きです。雲が流れていくのをぼーっと眺めているのも好きだし、星を見るのも好きです。星座に詳しいわけではないのできらきらしてんなーと感動するくらいですが、ものすごく遠くにあるものが小さな光とはいえ肉眼で見えてるのは凄いなと思います。目があまり良くないのでもっと視力が良かったらさらに綺麗に見えるのかなと憧れたりもしますが自分の力量の範囲(それ即ち視力)で楽しみましょう。それはそうと夜目がきく人ってなんだかかっこいいと思ってしまうのは生存本能なんでしょうか。なんだか最近生き物として強い人に男女問わず惹かれるようになった気がします。ゴールデンカムイのせいかな。


そば茶

美味しいです。全国の自販機とコンビニはもっとそば茶を取り扱うべきだと思うくらい愛しています。でもアレルギーの対象としてわりとメジャーだから難しいのかもしれません。私は日本茶が好きですが、苦いものが苦手なので緑茶や市販のほうじ茶などはあまり好きではありません。普段あたたかい飲み物を買う時は爽健美茶十六茶を選びます。でもこれも置いていない店が多いのでもっと取り扱って欲しい。切実。私がそば茶を愛飲するようになったきっかけは駅の自販機で期間限定発売されていたものをたまたま好奇心で買ってみたことでした。香りと風味に驚かされてことあるごとに飲んでいましたね。あまりにもそば茶を褒め称えるので母がそば茶のもと?(そば茶の場合は葉ではなくそばの実)を定期的に買ってきてくれる程お気に入りになりました。でも自分でいれるよりJRのacureで売っている「信州韃靼そば茶」のほうが圧倒的においしいので、実家を出てJRを使わなくなった私は通販での購入を検討しています。でも24本セットでしか売ってないんですよね。一度で買うには少し多いのが悩みどころです。


路地

もともと散歩が好きなのですが、建物同士の間にある細くて薄暗い路地が大好きで見つけると入りたくなります。路地を挟んで向こうの通りが見えるのも良いですし、坂や階段になっていたり曲がりくねっていてその先に何があるのかわからないのもとてもワクワクします。猫がいたら最高ですね。散歩中に猫にあったら必ず敬意をこめて「こんにちは。」と挨拶をするようにしています。顔もだらしなくならないように気を付けて失礼のないようにします。一度の散歩でたくさんの猫に会えた時はとてもうれしくなります。お散歩中の犬も見かけるとついつい気になってしまいます。でも犬の場合は飼い主といっしょにいる場合がほとんどなので熱い視線を送るだけにしています。犬はかわいいしかっこいいけどちょっと怖いので猫のように積極的に触りに行けません。いつかわしゃわしゃしてみたい。

おわりに

下書きのまま数年眠っていたもの。何だか敬語がむず痒いが当時の文章を残しておきたいのでそのまま載せます。気まぐれ更新すぎる。

好き嫌い苦手②

好きなもの:芋

 芋蛸南瓜は乙女の好物というし、国民的アニメのヒロインであるしずかちゃんだって焼き芋が大好きだ。まあ私は焼き芋よりふかしたほうが好きだしサツマイモよりジャガイモが好きなんだけど。味噌汁にしてもいいし、スープにしてもいいし、煮物に入れてもいい。もちろんフライドポテトとかポテチとかもおいしい。ジャーマンポテトも好き。煮ても焼いても揚げても美味い。大好物ではないしすごくテンション上がるわけでもないけどあったら結構うれしい食材、それが芋。世界的にも主食として活躍しているし人類の味方だと思っている。人類の発展は芋と共にあり。芋万歳。映画でも火星で活躍しているしすごいよね。
 ただし、気を付けないと毎回窒息死しそうになるので個人的に注意が必要な食材でもある。皆平然とした顔で食べているけど、原形をとどめている芋って高確率で喉に長期滞在しない?あの状態は水を飲んでも芋の壁にせき止められて特に解決につながらないので地味に焦る。飲み込む量が多すぎるのかもしれないが、どれだけ注意していても忘れた頃に窒息しかけてしまう。とはいえ死因が芋って相当ダサいのでこれからも注意して食べていきたい。

嫌いなもの:ブンブンバイク

 現在私が住んでいる地域はTSUTAYAすらない田舎なのだが、夜になると季節を問わずバイク野郎が走り回ってはブンブン騒ぎ立てている。暮らし始めて間もない頃は驚きと苛立ちと物珍しさから新入生たちがTwitterで話題にしたものだったが、二年生ともなると今日もうるせえなという気持ちにしかならない。あの有り余っている元気を分けてほしいものだ。基本的には家にいるので騒がしいくらいで問題ないのだが、用事があって外出しているときに遭遇してしまうとさすがに少し怖い。人がいないところで盛大に事故ってほしい。バイク自体はかっこいいのにブンブンバイクのような迷惑な乗り方をすると途端にかっこ悪くなるのでやめたほうがいいと思う。
 追記。ここから続き書いてるんだけど、もしかしてこれ書いてたの一年前?時の流れ早すぎて怖いんだけど。ちなみにブンブンバイクは相変わらずうるさい。なんならうるせえなという気持ちを通り越して、お!今日も元気だね。とか思うようになったので何事も慣れればそれなりに何とかなる。カエルの大合唱と同じ。

苦手なもの:算数

 数学じゃなくて算数レベルから苦手。中学校までは基礎なので何とか食らいついていたけど高校になってからはもうお手上げだった。諦めたら気持ちは楽になったけど単位が危うかった。なんであのテストの点数で一回も補講呼ばれてないのかが高校時代で一番謎。本当に出来ない奴のテストは赤くない。そもそもなんも分からんから間違えるとかじゃなくて書くことすらできないので白い。そもそもセンスがないんだと思う。単純な四則演算ですら苦手。二桁以上だと筆算しないとできないのですごく遅い。百マス計算とか一時期母親にやらされてたけどめちゃくちゃ時間かかってた。
 そんな私は部活で毎回その日の的中率を計算する仕事があるので(主務仕事多すぎ)、ゆっくりゆっくり小学生みたいに筆算している。その横で同代の部員が暗算して先に割合を予想し私の計算で答え合わせしてるんだけど。もうあなたがやってくれよって思うし、実際に言ってみたこともあるけど「じゃあ私の仕事代わりにやる?」って言われてしまう。ちなみにその人の仕事は会計です。数字に弱いって言ってるだろうが。まあお金が動かない限り仕事が発生しないので、よく手伝ってくれて助かっている。

おわりに

 久々かつ急な投稿。一応下書きはたまにしているんだけれど完成までエネルギーと集中力が持たない。気が向いたらまた書きます。
 今回は見出し機能を使ってみたけど、結構読みやすくて良いのではないかと一人ご満悦です。えへへ。あとやっぱりパソコンのほうが編集しやすい。
 毎回終わり方が分からないんだけど、別に自己満足で書いてるものだし大したこと書いてないから何でもいいか。それではまた。

どうも、空の子です。今回は自分がついついやってしまう癖の話です。お暇な時にどうぞ。ちょっとグロくなったかもなので注意。


私には「爪を噛む」という癖がある。小学生の時には注意されていた記憶があるけど具体的にいつ頃からなのかは全く覚えていない。でも多分きっかけになった出来事みたいなのは覚えている。


きっかけは家の木材に爪をたてたことだったと思う。家は木造なので土壁と木でできている。ある日何となく壁の木材に爪をたててみたらくっきり跡がついた。面白くて対象になるように爪をたててみたらそこだけポロッととれた。当時の私は楽しくなってしまいいくつも跡をつけたりくり抜いたりして遊んでいたのだが、後で父親にバレて「それ以上傷付けたらお前の爪剥がすぞ」と怒られた。めちゃくちゃ怖かった。私の父親は怒り方が怖い。当時の私は悪気がないんだからもっと言い様があると思うのだが今でも口答えなんてできやしないので一生伝える機会はないと思う。


話がそれたがその時に爪の先が折れ曲がってしまい、気になって齧りとった記憶がある。今まで気にとめたことのない爪という存在と爪が短くなった時の指先の開放感を知った瞬間だった(大袈裟かもしれない)。



1度爪を噛んでそれで終わらなかったのには理由があると思う。爪を噛むとどうしても形が歪になったりギザギザする。そうすると気になって平らにしようとする。やすりを使えばいいのだけれどそんな知恵は持ち合わせていなかった私はしょうがないから歯で削る。しばらくはそれで落ち着くがある程度伸びてくるとまた気になる。ので噛む。ギザギザになる。削る。伸びる。噛む。これを数年間ずっと続けていた。



親には注意されるし何となく人前では控えていたと思う。でも1度癖になった行動はなかなか変えられない。爪を噛むのは深爪になりやすいので自分でもやめたかったけど、やめられなかった。なんなら徐々にエスカレートしていき、爪だけではなく指先の皮も噛むようになってしまった。中学生くらいの頃は爪を噛む姿を想像して結構おぞましいのではないかと思いいたり、噛まずに折ってちぎるようになった。そしたらささくれをとる癖が新たにできてしまった。ささくれというレベルをはるかに超えて(肉が出ない程度に)指の皮を剥いていた。酷い時は右手の中指の指先横のあたり(ペンだこができる位置?)の皮が剥かれすぎて2層構造になっていた。当時は1週間に1回は流血していた気がする。そういえば絆創膏を持ち歩くようになったのはこの頃からだ。最近「なんで大して使わないのに持ち歩いてるんだろう」と疑問に思っていたのですっきり。



痛いし不衛生だしやめたい理由は沢山あったしやめようと頑張ってもいたが治せないまま高校生になった。自分で買い物する機会が増えてバッファーとシャイナーの存在を知った。これらはいわゆる爪磨きの道具で、バッファーが爪の形、シャイナーが爪の表面を整えるためのものだ。爪が伸びてきたらこれで削り、手入れをするようにした。バッファーを使うと流血することなくギリギリまで爪を短くできたしギザギザにもならなかった。シャイナーで爪の表面を磨くとピカピカになって嬉しかったし楽しかった。何より自分で手入れした爪を噛むのは気が引けてだんだんと爪を噛まなくなっていった。今でも大変お世話になっている。




考え事をしている時や強いストレスを感じた時、バッファーとシャイナーがない時は今でもたまに噛んでしまうので完治したとは言えないが、だいぶマシになったと思う。おばあちゃんになるまでには治したいが、ボケたら再発しそうだなとも思う。老後の蓄えにはバッファーとシャイナーも入れておいた方がいいかもしれない。



以上、癖の話でした。眠い状態で考えたので誤字脱字、その他おかしいところがあったらごめんなさい。文もぶつ切りのものが多いと思うけどあまり気にしないように。それではさようなら。バイバイ👋

苦手と好きと嫌い①

やぁやぁわれこそは生粋の三日坊主「空の子」である。中途半端な下書きだけがたまりいっこうに記事をあげない私であるが、珍しく気が向いたので久々に投稿をすることとなった。相も変わらずどうでもいいことしか書いてないので時間が有り余ってて他にすることがない時にでも読んでつかあさい。あと今回はまとまりがなくて読みにくいですが頑張って読め。貴君ならできる。





・歯磨きが苦手:歯磨きは難しい。どうしても小刻みに動かし続けることが出来ない。腕が疲れるし飽きてしまう。小さい頃から歯磨きは苦手で歯医者に行くたびに母は仕上げをしてあげろと先生に言われていた。でも私の母は子供の歯を磨くのはあまり上手ではなく、力が強くて少し怖くて苦手だった。母は耳掃除も下手だった。一度耳掃除中に耳の中をひっかいてしまったことがあり、軽くトラウマになっている。耳掃除のときは必ず「痛くない怖くない大丈夫」と唱えて震えていた。仕上げの歯磨きも耳掃除も普段接触を拒む母が膝枕をしてくれる貴重な時間だったのでその点では幸せだった。




・裸足が好き:実家は木造だったので冬はとても寒いのだが、靴下を履くのはあまり好きではなかった。裸足だと床の感触や空気が直接感じられて安心する。靴下や靴で覆われているとなんだかムズムズして落ち着かない。裸足で1番好きなのは布団の中にいる時だ。シーツの感触を足の裏で確かめるのはくすぐったいが布団の中にいるという実感が湧いて幸福感すら覚える。あとここ数年で実感した事だけど冬はなるべく薄着で布団にくるまって寝るのが1番好きかもしれない。重要なのは裸じゃないってこと。一度試みたことがあったけれど流石に落ち着かなかった。キャミソール1枚とパンツくらいがちょうど良い。何を言ってるんだと思われるかもしれんが炬燵でアイスを食べると幸せなのと一緒で、薄着で掛け布団に包まれているのは大変快適なのだ。暖房つけて布切れ2枚しか身に纏っていないと考えるとなんだか贅沢だが好きなんだからしょうがない。ちなみに1人暮しでこういうことをしていると急な来客の時に慌てて服を着ることになるので要注意。まあ実家ではなかなか出来ないから(うちは鍵もかからないのにノックする習慣が自分以外になくて非常に困る)1人暮しで習慣化しているふしもある。




・電話が嫌い:慣れてないのもあると思うが本当に緊張する。自分からかけなくてはいけない時はいつもメモを用意して震えながら電話する。心の準備を整えるのにすごく時間がかかる。なんなら泣きそうになっている時もある。(会話中に泣きかけるのは本当に困る。)相手からかかってきた時はいつも飛び上がってしまうしすごく不安になる。非通知なら出ないし知っている相手でもよっぽど仲のいい友達じゃないと出たくない。親でもびっくりする。何故こんなにも電話が嫌いになったのか心当たりがないのだが、特にきっかけなどはなく積み重なった経験のせいだと思う。小学生の頃、実家の固定電話に保険会社やセールスなどがかけてきた時に社名や担当者名が聞き取れない、もしくは覚えられず親(というか父親)に変わる時に嫌な顔をされることが多かった。高校では塾からスマホに直接電話がかかってくることも数回あった。(塾がマジで苦手だった話はまたの機会に書きます。)電話は相手の表情や感情が読みにくく、内容も覚えにくい。顔を見て会話している時は間があっても互いの表情で何かを考えていることや態度が伝わるから幾分かマシだと思う。また、会話する相手は大抵選べるが電話はそうはいかない。電話は親しい人とだけ使う文化になって欲しいと切に願う。






とりあえず思い浮かんだ苦手・好き・嫌いをあげてみた。個人的に苦手と嫌いには違いがあると思うので区別している。気が向いたらシリーズにしようと思うので①とした。次回の公開がいつになるのか未定ではあるが、気が向いたら読んで見て欲しい。それではまた今度👋

乗り物と赤ちゃんの話

どうも、ご無沙汰です。空の子です。一人で新幹線に乗って本を読んでいたら書きたいことができたので久しぶりの更新です。本文書いてからこの出だしを書いてるんですが案外長くなったので時間があるときにでも読んで見てください。





あまり人に話したことはないが私は乗り物が好きだ。かっこいいからとかそういうマニア的な理由ではなく、楽だし自分では出せない速度で進むので単純に楽しい。だから車だろうと飛行機だろうと自転車であっても分け隔てなく好きだ。特に誰もいない電車に乗るのが好きだ。他の乗り物は人と乗るほうが好きなのだが(自転車は無理だけど)電車は一人にかぎる。飛行機は普段乗らないものなので毎回テンションが上がるが、怖がる人がいてくれないと少し物足りなく感じてしまう。多分墜落することを恐れているんだろうけど、私はいつ死んでも良い派であり(本当はいつ死ぬのも嫌なのだけどその話は別の時にする)あまり気にならないのでむしろその反応を見て楽しんでいる。性悪だなぁ。




考えようによっては墜落死も悪いことばかりではないと思う。墜落するだろうと分かったときの機内は諦めと絶望と恐怖で満たされて皆同じ気持ちを抱いて、なんか心中みたいでちょっとドキドキするかもしれない。大抵の人は死にじわじわ確実に向かっていくのはとても嫌だと思うけど。多分その立場になったら私もあまり喜ばないと思うけど。まぁ考え方のひとつだ。それに墜落死なんて知り合いからすればわりとショックを受けるものだろうから人の記憶には普通より残るかもしれない。これも人に忘れられても良いから生きていたい人のほうが多いと思うけど。



電車の話をしようとしたのに飛行機の話になってしまったよ。寄り道から帰れなくなりがちな思考が憎い。






電車は一人が良いと先に述べたが、外の景色が見えることも重要な要素だ。窓の外を見ているとどれだけの速さで移動しているかということが実感できてとても楽しい。それにとても遠いところまで行けそうな気になるのだ。旅というものは人を一回り大きくするものだが、電車に揺られているとたとえいつも乗っている通学の路線でも自分の器というか人間の度量がむくむくと大きくなっていくような気がする時がある。大抵は気がするだけなのだろうけど。この、旅で人間的に成長している感のために一人というのが大事なのだろう。そういえば私の好きな作家の本で「瞳のさがしもの」という本があるが、その中で登場人物が旅と旅行は違う。という話をしていた。気になったらぜひ読んで欲しいのだが私の感じる旅はその人が言うように旅行とは違うもののように思う。




電車は外を見ているととてもワクワクするかとても静かな気持ちになるが、誰もいない(いてもなるけど)車内に目をむけると眠たくなってくる。以前テレビで、電車中で眠くなるのはまだ我々が胎児だった頃に母親の体内で聞いていた外界からの音と振動に似ているからだと聞いたがとても納得できるものだった。






電車に限らず私は赤ちゃんの頃の感覚を味わって安心する癖がいくつかあった。まず、寝るときの姿勢で丸くなるというものだ。いや、丸と言うよりはうつ伏せに四角くなるのだ。非常に伝えにくいが膝を抱え込むようにして顔面を布団に押し付けてから腕を組んで眠るイメージをして欲しい。もちろんある程度苦しいので一定時間たったら普通に仰向けになるのだろうが、息苦しさよりも安心感のほうが勝っていた。これは小さい子に共通なのかはわからないが妹もやっていた。

 


丸くなると言えば小学生の頃プールでだるま状態のまま水面を漂うのも好きだった。肺活量がないのでたいして長い時間でもないのだが何回も繰り返してやっていた覚えがある。羊水に浸っている頃と似ているからなのかひどく居心地が良かった気がする。なんだか沖に浮かぶブイのようなクラゲのような気分だった。私が愛してやまない森見登美彦氏の「ペンギン・ハイウェイ」で主人公のアオヤマ君だったかも同じようなことをして地球に一番最初に生まれた古代生物の孤独な気持ちを想像していた気がする。まぁそのあと彼はスズキ君たちに水着を奪われちゃうんだけど。




あとは母にくっついているのが好きなのもそうなのかもしれない。私の母は子供があまり好きではないうえにベタベタするのは嫌いなのですぐにひっぺがされるか拒否されるのでその度に抗議するのだがお互いに譲らない。これは今もよくするのでたまにため息をつかれたり他の家族から気持ち悪いと半分本気半分からかいで言われるのだが、小さい頃に注ぐ愛情表現が足りなかったと思って諦めなさいと返すことにしている。このやり取りはきっとどちらかが死ぬまで続くと思う。





東京での受験帰りに三浦しをんさんのエッセイを読んで書きたくなったブログなのでなんとなく(もしかすると濃厚に)しをん臭が漂っているかもしれない。ずっと書いては消してというのを繰り返していっこうに更新できていなかったのでなんだかすっきりした。次からは誰かのエッセイを読んでから書くことにしよう。穂村弘さんあたりが良いかな。もともと人のブログを読んでて始めたくなったものだからぴったりかもしれない。次がいつになるかはわからないが興味があったらまた読んでください。それではバイバイ👋











     

あんよは上手でありたいもんだ

どうも、空の子です。見る人がいるのか分からないけどはじめが肝心ですから挨拶はしっかりしないとね。

ブログなんてものは初めてだし、そもそも日記も書いたことない。生粋の三日坊主とは私のことです。じゃあなんで書くことにしたかっていうと知り合いというか腐れ縁みたいな関係の人がこのはてなブログをやってて影響されたから。自分も文章で感じたこととかをその時の温度のまま取っておいたりしてみたくなったし、他の人の書いたブログも見てみたいって言ってたので。まぁそいつが実際に見るのかは分かんないけど。


更新は気が向いたらするつもりなので間は空くと思われます。のんびりいこう。


私は受験生であり、かつ考査期間なので本来はブログなんて書いてる場合ではないのです。しかしながら私は人間は疲れたり精神的に辛くなると現実逃避をしたくなる生き物だと勝手に思ってるんですが、現実逃避にも色々あってそれには普段頭の中ですましている自分の思考回路を文章におこすということも割とよくあることだと思いますが、これを書いているということはつまるところ私は今疲れていてブログを書くことで現実逃避をしているわけです。まどろっこしいね。


実は夏のうちに更新する予定だったんですが、読み返して直してからにしようと思っているうちにすっかり秋になりました。びっくりですね。私がゴロゴロしている間に好きなバンドはライブに出たり、公式アプリの新機能が使えるようになったり、北欧の至宝が日本に来たり、知り合いが付き合ったり別れたり、芸能人が結婚したり、考査期間になったりしたわけです。まったく、時間の流れが早すぎて溺れそう。世の中は移ろいゆきたえず新しくなる。今この瞬間にも世界は変わり続けている。諸行無常色即是空。所詮人間はちっぽけな存在で、自分たちが作り上げたシステムにひいひい言いながら毎日あくせく働いて休みたい遊びたいと嘆く。わけが分からん。快適さを求めすぎてそれを手に入れるために人生の大半をしんどい日々に費やす。目的を見失ってないか?もっとのんびり質素に生きるべきだよ。

なんてね

ゴロゴロしているようでこんなことを考えているとちょっぴり頭の良い子のような気がしてくるのですが、気がするだけなので悲しい。というかこんなことばかり考えて現実逃避しているから頭が良くならないんでしょうね。私だって欲の塊ですし、人間皆俗物。

なんか適当に書いてたら収拾がつかなくなりそうなので今回はこれでやめておいて勉強します。気分によって文体も内容も全然変わると思うしつまんない内容だと思うけどこんな感じでやっていこうかなと思います。気が向いたら見てね。改めてよろしく。